「世界のタンゲ」と言われ、日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。数々の大使館や新東京都庁舎、ハナエ・モリビルなどの作品がある。
建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとする。2000年には「今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれている。また、2005年に行われた愛知万博の総合プロデューサーを務めた、自邸(スカイハウス)、銀座テアトルビルなどの作品がある。
丹下健三の門下生、1959年には建築理論メタボリズムを提唱した。社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。青山ベルコモンズ、国立新美術館、クアラルンプール国際空港などの作品がある。
第二次世界大戦前の10年間をフランスで過ごし、抽象美術運動やシュルレアリスム運動と直接関わった。戦後、日本で絵画・立体作品などを制作するかたわら、文筆活動も精力的に行った。明日の神話、こどもの樹。また近鉄バファロー球団シンボルマークなども手がける